捕鯨問題について日本と国際社会の摩擦
ニュージーランドで長く生活をしたり、アングロサクソン系国々に住んできた私としては「痛い」話題の捕鯨問題です。日本よりも頻度に日本の捕鯨はニュースになっています。
http://www.nzherald.co.nz/world/news/article.cfm?c_id=2&objectid=10638339
なぜ痛い話題なのかというと親しい友人たちと感情的な部分で議論となってしまう話題だからです。何を食うのが野蛮なのかという民族的感情的やプライドにふれる問題でもあります。もちろん私は子供の頃に日本でクジラを食べたこともある。ここで簡潔に私の捕鯨に対するスタンスを言わしてもらうと私は「これまでのバッシングにあって、それに見合うだけの反対意見をコミュニケーションできない日本にとって捕鯨を引き続きやっていくのは損である。」と思っている。
日本人の私としてクジラは魚の延長線にあるので(みなさんはそう思わないかもしれませんが)クジラくらい食えなくたってタイもヒラメもうなぎもいろいろうまい魚はいるしクジラを食べるというメリットが日本人のイメージが受けているダメージと比べて大きすぎるのではないかと思っている。
この問題は日本に住んでいる日本人には見えないほど反感を買っているのです。日本人はかわいくて頭のいいイルカを殺戮して食うとか、いろいろな話がミックスされて、とりあえず日本人は「あんなに頭のよくて穏やかで牛や豚のようにファーミングや養殖もできないクジラを食いやがって」というのは普通の西洋人の考えではないだろうか。
特に僕の育ったニュージーランドやオーストラリア政府の反捕鯨姿勢は強く、国際捕鯨団体だけではなく国際司法裁判所への提訴まで言及している。
ご存知のようにシーシェパードやグリーンピースなに代表される反捕鯨団体は猛烈な反捕鯨を行っている。私としてもシーシェパードの様な過激な南氷洋の反捕鯨運動などは見ていて正直、怒ってしまう。この間も南氷洋で第二昭南丸に乗り込んだニュージーランド人のシーシェパードのメンバーが逮捕され起訴されている。
ここで私が考えたいのは次の3つである。
一つめはオーストラリアやニュージーランドをはじめとする反捕鯨を支持する国々の政府、また半捕鯨団体の主張と捕鯨を正当化する日本政府や日本人の主張がかみ合っていないということ。
二つ目はは反捕鯨陣のマスメディアを用いた巧みな広報が行われていてそれに見合う対となるコミュニケーションが今の日本人にはないということ。
三つ目はこの問題に見え隠れする日本の国際社会におけるコミュニケーションをどうしたら高めることができるかというヒント
まず一つ目のポイントを考えてみたい。
反捕鯨陣の主張はこうである。「調査捕鯨という名目で日本は**頭のクジラを残酷なやり方で殺している。この調査のためにクジラを殺す必要がない。だいたいそれを食用にしているところが筋があっていない。」これに対して日本側は「これはIWCに認められその決議に乗っ取った調査なのだから文句言われる筋合いはない。クジラを食べるという文化は日本固有の伝統でありそれに文句を言うのは失礼だ。俺たちは牛を食うなとか食文化や伝統に文句言わないだろう。だいたい油をとるために捕鯨でクジラを殺しすぎたのはあなたたちではないか。」
はじめに反捕鯨陣と日本の争点は調査捕鯨とう名目でクジラを食っているということ。これは日本人としては捕鯨に関するレギュレーションをつくっていく国際捕鯨協会においてタテマエでは日本政府は反捕鯨に動きにある程度同調しているものの(クジラの個数が少なくなっているので調査という名目で捕鯨をやっている日本は捕鯨し過ぎはよくないですね、個体が増えるかも知れないので様子を見ましょうということには同調しているとみえる)本音ではクジラを殺して売っているという実態が反捕鯨陣にいわせるとタテマエだけで同調しておいてクジラを食っている日本人は西洋人のロジックから言わせると、矛盾だし嘘つきだということになってします。
これに対して日本人は争点として「クジラを食べるという文化は日本固有の伝統でありそれに文句を言うのは失礼だ。俺たちは牛を食うなとか食文化や伝統に文句言わないだろう。だいたい油をとるために捕鯨でクジラを殺しすぎたのはあなたたちではないか。」というロジックをぶつけても、これは感情的な主張で「今」の状況ではクジラは少なくなっているのだからそれに目を向けろと言われてしまう。また日本人は白人による差別だという問題を持ち込んで批判の材料にしている。なんかかみ合ってないぞ。
二つ目に私が取り上げたいのはニュージーランドやオーストラリアなどでグリーンピース等の環境保護団体やNGOがどれだけ効果的に政府やマスメディアを巻き込んでグローバルな世論に影響をあたえているかということです。広告代理店などもスマートなメディアの使い方やインターネットやソーシャルメディアを駆使して感情保護、エコの一環として反捕鯨のキャンペーンを行っている。
http://www.facebook.com/group.php?gid=7444286694 (Facebook Group)
特にこれらのアングロサクソン系の国々はニュースチャンネルや新聞も同系列の会社であり(イギリスのスカイチャンネルや新聞のヘラルド社はオーストラリア、ニュージーランドでも大きなマスメディアである)第一英語での記事の威力はすごく、日本語の記事に比べて数倍の広まりのスピードや効果があるのではないだろうか。
これではいくら日本人が日本国内でオーストラリア大使館やニュージーランド大使館に抗議をしたりグローバルなコンセンサスには届かない。日本捕鯨協会のサイトをみてもこの通り素人の作ったようなコミュニケーションに乏しいものである。 http://www.whaling.jp/english/index.html
この問題だけではなく大きくは反原爆運動等までマスメディアや広告やアニメを使ったコミュニケーションを駆使して日本も意見を発表していかなくてはならない。日本のアニメや映画というメディアもあるのだし日本人のコミュニケーションに使える土台はあるのだ。
日本のイルカ漁の暴露映画である「ザ•コーブ」という映画も最近話題になっている。
日本はクールに日本の視点を映画にすることもできるんじゃないか?
で最後三つ目にこれに見え隠れする大きなテーマとして、全体的に日本人のコミュニケーション下手さがある。私も含めてだが日本人はどちらかというと自分が悪くないと思うとき、それを主張するのではなく、いづれは分かってくれるとかこちらの意図を察してくれるとか思ってしまうようだがそれでは分かってもらえない。
日本人はどうやら論議に感情を持ち込み過ぎがちである。国際的な場で使われているのは西洋の論理である。そして日本はそういう場で相手に向かっていく時に自分たちの論理を感情抜きに意見をぶつけ合わなくてはならない。
それと同時に政治的なストラテジー、例えば日本が本当に捕鯨を続けたいのであればこれは今の状態になる前に反対意見の芽を摘んでおくべきだったのかもしれない。
例に今、中国がアフリカ等で資源を買っているように先ののビジョンをもって種を植えたり芽を摘んだりしている訳である。ビジョンをもったマスメディアや広告を使った日本のアピールを習得していかなくてはならない。
テレビなんかでもNHKの海外向けテレビでと中国のCCTVなんか比べるとニュースキャスターの英語のレベルが全然中国の方が優れているし自国のニュースや意見を英語で24時間世界に配信している。
それよりも、このごろヨーロッパ各地からロンドンに引っ越して住んでいる人に会う機会が多いのだけどみんな日本の漫画なんかを見て育っていて、ラーメンとおにぎりとか漫画で見た食べ物なので食べ物にもあまり抵抗なさそうだ。そういうとこから日本に興味もっていう西洋人も増えているみたいだ。(特に英語圏外で)
もうちょっと図々しく考えると漫画で刺身とかクジラとか食ってたらもしかしてこの人たちも案外理解持ってくれるかもしれないなぁなんて思ってしまった。
今からはソーシャルメディアをはじめとしてコンテンツがもっともっと消費される時代だし日本はこういうところのチャンスをつかまなくてはならない。お隣の韓国なんかもうそういうことは前か国をあげて自分の国のイメージをあげていると思う。
テーマの覚え書き
自分への覚え書きとして今後書きたいアーティクルを書いています。
日本国家のブランディング?
中国の国際化
世界のメディア、広告業における変化
デザインの力
情報とは
ニュージーランドの金融、投資
Samsung/Haier etc..
忘れられているアフリカ
ロシアはどうなの?
ユーロ、ポンドについて
Happinessとは?
Apple iphoneとデゥシャン?
ニュージーランド人の生き方
ニュージーランドのブランド戦略
産業革命からのながれ
日本で野菜作り!?
日本は安い?
幸せな死に方
税金について
ベルリン
日本人の誇りが邪魔
国籍、永住権
日本の首相はすぐ変わる
Facebook/myspace
外国の日本食
国際的な日本人とは
私は日本を16年ほど前に離れ、それからニュージーランドで10年以上過ごした後ニューヨーク、東京で仕事をしたり、シカゴで大学院に通ったりした後、現在はロンドンでデジタル系のデザイナーとして仕事をするかたわらアーティストとして活動をしている。
食事と、経験だけには自分のできる限り先行投資というか、お金にも気を止めず世界中いろいろなとこに行きいろいろな人にあってきた自分である。
また海外で生活をする日本人として、「日本人とは世界の中でどういうアイデンティティーを築いていくべきなのか?」ということを少しずつではあるがこの16年間考えてきた。
個人として国際的な場でコミュニケーションをとる機会は今までにたくさんあり、個人的な世界では自分というものを確立しつつある。これはインターナショナルスタンダードな日本人のロールモデルが少ない中で自分なりに悩みながら考えている。
もっと大きな枠組みで国家や国民として考えた場合、日本という国は、小さな島国ながら世界では有数の経済大国にもなった。(いまでは勢いは衰え気味ではあるものの)世界の人たちは「日本」という国に一目おいているところもあるのです。しかしそれに答えるだけの国際社会における意見、日本の歴史や文化をもとにした価値観など国際社会に貢献できるものはたくさんあるはずだ。あえて他のアジアの国などと比べてどうだともいわない。日本には日本人らしいやり方があっていいはずだ。
しかし世界とコミュニケーションをとる力や、世界的な視点からの洞察など、他国の国民と比べて、なにかと理想とする像がみえない。
こういう現状を少しずつ考えていこうと思う。これからのインターナショナルな日本人とはどういう道なのだろうか。
"Pursuit of Lifesyle - when did we start selling it on our instinct to pursue dream?"
At Paragon shopping center
(non) thinking
I am always thinking and asking context - “what does this mean? - What is this supposed to mean? how should this fit?” etc
This helps me at times when I am DJing or exhbiting my artworks. since I am able to think about the context and relate to people.
but it’s quite useless when I give speach for a example. I am completelly aware of my speech and asking quetion of the situation.
How can I devide being ‘non-thinking’ and ‘thinking’?